サナト×アキ

運ばれてきた紅茶茶碗が宙を舞い床へ落ちていく。派手な音とともに破片が散らばった。頭を下げた女が慌てて手を伸ばそうとする。サナトが腕をとってそれを止めた。眉は不快そうに歪められているけれど、怒っている風ではない。身動きの取れなくなった女とサナトは視線を通わせ、その隙に脇から現れた他の女中があっという間に欠片を片づける。サナトは掴んでいた腕を離し、特に咎める事もせずに女を下がらせた。

「……何だ?」
「なんでもないです」

咄嗟の言葉が浮かばず、ぶんぶんと首を横に振る。サナトは仕切り直しと言う風に息をつき、踵を返した。

「場所を変えるぞ」
「え、はい」

サナトの後ろを歩きながら、女中たちが声を潜めて話すのが気になりつい耳を傾けてしまう。最近サナト様がお優しい。まさしく、アキが感じていたひっかかりはそれだ。根が優しいのは知っているけれど、以前はそれを包み隠すような冷たい雰囲気がもっと目立っていたように思うのだ。

「痛っ」

ごつんと何かに当たり額を押さえる。怖々見上げるとサナトの冷ややかな視線とぶつかった。考え事をしていたせいでサナトが立ち止まった事に気付かず、その背中に頭から突っ込んでしまったのだ。

「ごめんなさい」

一歩後ろへ下がろうとして、頬に触れたひんやりとした感触に止められる。それがサナトの手と分かると、頬と手の平の温度差は一層際立った。

「何を考えている?」
「え?」

淡々とした言い方でこちらを見下ろすサナトの表情からは感情を読みとる事ができない。

「別に、何も」
「ほう。私に嘘をつけると思っているのか」

サナトの唇が不敵に笑みの形を作り、長い爪先が肌に触れた。アキが身体を強張らせると、サナトがため息をつく。

「何故答えぬ」

眉を寄せて呟く様子が不思議に思え凝視すると、すぐに気付かれ睨まれてしまった。このまま押し問答を続けても、状況は悪化する一方という気がしてくる。

「聞いても怒らないで下さいね?サナトさん、前と比べて雰囲気が柔らかくなりましたよね」
「何を言い出すかと思えば……」
「だって、言えって言うから」
「それが今まで考えていた事なのか?」
「そうです。……サナトさんが他の人に優しくしている所を見ると、気になっちゃって」

聞こえるかどうかと言うくらいの声でつぶやくと、サナトが小さく笑った。

「優しいなどと言うのはお前くらいだ」
「そんな事ないです」

強い調子で言い返す。サナトが穏やかな目をしたかと思うと、次の瞬間には薄い唇がアキの唇を掠めていた。

「お前ほど面白みのある女が他にいると?」

至近距離で見つめられ、視線を剥がせなくなる。ぽうっと見惚れていると、サナトが口の端を上げ意地の悪い顔をした。

「まあ、先刻までの切羽詰まった表情を見るのも悪くはないが」
「サナトさんの悪趣味」
「命知らずはこの口か?」

逃げる間もなくあごをとらえられる。口答えした事を今更後悔していた。




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