「アキ、いるか?」
戸口から控え目な声が聞こえてくる。アキが二階から下の階を覗き込むと、こちらを見上げていたらしいクラトと目が合った。
「はい。いますよー」 「上がっていいか?あ、忙しくなかったらでいいんだけど」
なんとなく普段と様子の違うクラトを不思議に思いながら、アキは笑顔を作って頷く。
「平気ですよ。どうぞ」
アキの正面にくると、クラトはお願いがあるんだけど、と申し訳なさそうに切り出した。羽織り物の留め具が外れてしまったので、つけてほしいと言うのだ。そんな事です
か?と口を滑らせると、クラトが少しムッとした顔になった。
「えっと、なんでもないです。裁縫道具持ってきますね」 「うん」
針に糸を通して留め具付けにとりかかる。集中を解かないよう気を使ってか、クラトは何も喋らず留め具が縫いつけられる様子を見ていた。けれども、アキとしては静かすぎるのもやりづらい。おずおずとクラトの方へ顔を向ける。何、と聞かれて咄嗟に思いついた話題を口にした。
「お城って、こう言う事をしてくれる人はいないんですか?」 「いるにはいるんだけど、手続きとか面倒くさいんだ。それほど大ごとじゃないし」 「なるほどです」 「警備隊でできそうな人もいないし……まさかできるって言われてもあんまりな」 「ああ、先輩には頼みにくいですよね」
アキがうんうんと頷くと、そう言う理由じゃないんだけど、とクラトが苦笑いをする。アキは目をパチクリしてクラトの言葉の意味を考えようとしていたが、その最中に他の考えが浮かび、あ、と声をあげた。
「ミトシ君なんて、できそうじゃないですか?料理も上手ですよ」 「そうか。ミトシならできたかもな」
会話が止まる。再び手を動かし始めると、クラトがポツリと呟いた。
「なんか、まっさきにアキが浮かんだんだ」 「はい?」 「いや、その、暇そうとかって意味じゃないんだぞ」 「暇って……これでもそれなりに仕事が入るようになってきたんですよ」 「だから、違うって言ってるだろ」
アキが傷ついたような顔をすると、クラトが焦って声を大きくする。クラトの必死な様子を見て、アキは思わず笑ってしまった。
「ふふ。まあ、カヤナに頼むよりは正解だったと思いますよ」 「あー。カヤナも意外にできたり……しないのか」 「さあ」
もちろんアキは答えを知っている。けれども、真剣に考え込むクラトを見ていたら、黙っておくのもいいかな、なんて悪戯心が芽生えてしまったのだ。
「はい、できましたよ」 「ん。助かったよ」
ホッとしたような笑顔を向けられ、アキもそれに返す。こうやって会話をしていると、どうしてか最悪だった初対面から嵐の日に手を差し伸べてくれた事、慣れない一人暮らしを気遣って何度も顔を出してくれた事、かけてもらった優しい言葉がよみがえるのだ。何故だか苦しくなって、アキは考えるのをやめた。
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