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トーマ×主


大学に入って半年以上がたち、敷地内の構造にも大分詳しくなったけれど、この場所に足を踏み入れる事は滅多にないことだった。講義棟とは異なり狭い間隔でいくつもの扉が並んでいる。そのひとつずつにセキュリティロックがかかっていて、開錠するには部屋ごとパスワードを入力しなくてはいけない。パスワードは部屋を使用するゼミごとに設定されているから、まだどこのゼミにも所属していない私が知るはずもなかった。前に一度連れてきてもらった時の記憶を頼りに進みそれらしき部屋にたどり着いたものの、扉はいっこうに開く気配がない。どうしようかと考えながら来た道を戻る。少しひらけたスペースに自販機やベンチが並んでいるのを見つけて腰を下ろした。

そもそもの目的はゼミ室に入る事ではない。その中にいるトーマに会う事が目的なのだからと心の中で言い訳をする。近くを歩いている人に聞けばすんなりと入れたのかもしれないけれど、まわりは知らない顔だらけ、そのうえ高確率でこちらより先輩であると思うと声をかけづらかったのだ。はじめから長期戦になるとは思っていたので、読みかけの文庫本を取り出して時間をつぶすことにした。

トーマがゼミ漬けなのが悪い。晴れて恋人同士になったと言うのにふたりきりで過ごせた時間など数えるほどしかない。かろうじてメールや電話でやりとりをしているけれど、トーマの口からゼミやらレポートやらと言った単語がこぼれた回数と私を呼んだ回数を比べればあきらかにゼミ>私である。と、そんなどうでも良いことを比べてしまうようにまでなったのはトーマが1日のかなりの時間を過ごすその空間で一緒に過ごしているのが決して彼の同性だけではない事に気付いてしまったからだ。ごめん、と断って出た電話口から聞こえる女の人の声に嫌な想像をして、ふくらむばかりの悪い妄想を取り払うためにここまできた。

「あれ、珍しい」

ちっとも進んでいない手元の本から目を離し顔を上げると、今の今まで頭の中で見知らぬ女の人と並んで歩いていたはずのトーマがこちらを見下ろしている。ぎょっとして立ち上がるとトーマは不思議そうに首を傾げた。

「な、何してるの」

強張った顔でそう口にすると、トーマが吹き出して笑う。

「それはこっちのセリフ。誰かに用でもあるの?」
「誰って、その、トーマに」
「まあ、普通に考えたらそうか。で、どうした?」

いざどうしたのかと聞かれると言葉が浮かんでこない。何の証拠もなしにゼミの女の人と浮気してるでしょ、なんて言うわけにはいかないし、ゼミと私どっちが大事なのなんて事が言いたいわけでもないから、必死に頭をフル回転させた。

「トーマに会いたい気分だったから」

いつもはそんな事を言わないけれど、今は本当にそう思っていたし、自然に言えたはずだ。自然に言えたはずなのに、目の前のトーマが目を丸くしている。失敗した。おかしくなってしまった空気を元に戻すには何と言えば良いか考えていると、突然目の前が暗くなり唇に触れた何かが離れていく。

「こ……ここ大学!」
「いや、今の発言はキスして良いって意味だと解釈したんだけど違った?」
「ち、違う!人いた!女の人、こっち見てた!」
「ああ。あれ同じゼミの人だな」
「ええ!?」

驚いて声も出ない。そんな私を見たトーマが楽しそうに笑う。

「今日はもう帰るつもりだから荷物取りに行くだけだけど、寄ってく?」
「……うん」

差し出された左手をとり会話もないまま歩いていると、ふいにトーマが足を止めた。見上げた横顔からはトーマが何を考えているのか読みとることができず目を瞬く。こちらを向いたトーマが一気に間をつめ、またしても公衆の面前でしてはいけない事をした。

「トーマ!」
「だって部屋入ったらいろんなやつに絡まれて離してもらえないだろうから、当分できなくなるけどいいの?」
「それくらい我慢できるってば」
「お前ができても俺は無理。不意打ちで可愛い事言われてなんか色々我慢できなくなってんの」

我慢って何、色々って何、私の頭の中はそればかりで、少し前のあれこれが嘘のように消えている事に気付いたのはそれからしばらくたってからだった。
















トーマルートもう1回やり直してトーマの喋り方を研究しないといけないなと反省中です。